第2回:「脱私即的」→脱・私即・的?

「脱私即的」

 

 

本日は、あまり耳馴染みのない言葉を取り上げようと思うのですが

 

この言葉は、私が最も尊敬する人物がつくられた造語です。

 

新しい言葉を耳にした時、人はこれまでの知識・経験から、言葉を分解しにかかります。

 

 

有名な例となっていますが

おもいこんだら、しれんのみちを → 重いコンダラ、試練の道を

ろーるすろいす → ロール・スロイス

 

はいずれも誤っており、正解は、みなさんご存知の通り。

 

 

表題の件ですが

私は初めにこの言葉を聞いたとき、脱原発→脱・原発

のように、「私即」という言葉の意味を考えました。

 

調べても全く思い当たる節もなく、「私・即」と分解してもダメでした。

 

尊敬しているにもかかわらず、その方の言葉の真意を今まで理解できていなかったことがお恥ずかしい。

 

 

 

そして、先日、その方があるメディアでこの言葉の意味を解説されていて、初めて気が付きました。

 

「脱私・即的」

が正しい意味の捉え方なのでした。

 

読み方も「だっし・そくてき」が正しいのだそう。

 

 

私を脱し、的に即す。

 

 

考えろ、意味を考えるんだ...

 

 

個人を捨てて、目的に就く。

 

 

私心を捨て、「世のため人のため」という人間本来の生きる目的に懸命になる。

 

 

なるほど。という自分の解釈に納得。

 

そしてそれに近い解説をその方から受け、改めて自分への涵養を感じました。

 

 

最近では「~ファースト」という声が良く聞かれますが

自分ファースト、自国ファーストなのは当たり前。建前抜きで。

 

その前提のもと、どこまで相手の立場に立って物事を考え抜けるか

周りをポジティブに巻き込んでミッションを達成できるか

 

そんな脱私即的リーダー像は、この変化の激しい時代においても

日本人にとって当たり前のことを当たり前にこなすことで、形作られていくと信じています。